キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が90歳で死去したことが各紙で報じられています。
そもそもキューバ革命っていったい何だったのでしょうか?
カストロは、1926年、スペイン移民で裕福な農場主の息子として生まれ、高校生の頃には最優秀高校スポーツ選手にも選ばれるなど、活動派の少年でした。
1945年にハバナ大学に入って法律を学んだのですが、政治活動に熱中するなかで、革命運動に目覚めます。革命反乱同盟 にて南米の学生運動を盛り上げようと試みました。
野球はこの頃も続けており、メジャーリーグ選抜と対戦するなど、投手としての力量を示しています。
革命に目覚めながらも、1950年に大学を卒業し、弁護士になりました。貧困者のために活動し、1952年にキューバの保守党から議会選挙に立候補します。
この時、不幸なことに、バティスタ将軍がクーデターを起して政府を乗っ取り、選挙の結果が無効にされてしまいます。カストロは憲法裁判所に将軍を告発するも、当然、権力の配下と化した裁判所は請願を拒絶。ここでカストロは武装闘争を開始するのです。
この頃のキューバ政治は、バティスタ将軍が国を牛耳っていたのですが、カストロは1953年7月、130名の仲間をつのってモンカダ兵営を攻撃します。80人以上が死に、フィデルは逮捕され、懲役15年で投獄されました。
冷戦の中でバティスタ政権は対米従属の政治を続けていたため、不満を募らせた国民を率いる指導者としてフィデル・カストロは台頭してきたのです。
彼はその後、大赦で釈放され、メキシコ へ亡命し、革命勢力を糾合して1956年にキューバに再潜入を試みます。
この時、ヨットに乗って80名で白昼堂々と上陸し、空軍の攻撃を受けて十数名が生き延びて山中でゲリラ戦を展開したたそうですから、まるで冒険活劇さながらです。
カストロの革命軍は地方から首都攻略を狙い、多数の農民の支持を得、1959年1月1日にハバナを陥落させます。
この頃、一緒に戦っていたのがアルゼンチン人のチェ・ゲバラ です。ゲバラはブエノスアイレス大学医学部を卒業し、中南米を放浪している間に、圧政と不平等のなかで貧しい人々が苦しむ姿を見て、革命家となりました。メキシコでカストロと出会い、キューバ革命軍に参加します(カストロ政権では工業大臣などの要職を務め、38歳で死去)。
カストロの革命政権は、アメリカ系企業の接収や農地改革等を行います。
当然、怒り心頭に達したアメリカはキューバ援助打切り、輸出禁止措置を決断し、1961年には国交断絶となりました。
冷戦時代なので、反米路線となればソ連と手を組むのが有利と見て、カストロは社会主義路線に舵を切りました。
この舵が「火事」を招き、核戦争の直前に到った「キューバ危機」が起きるのです。
1962年、ソ連がキューバで核ミサイル基地の建設を進めていることが分かり、米海軍は核兵器を積んだソ連船の到着を阻むべく、海上封鎖を行いました。ここで、米ソ対立が頂点に達し、お互いに核を使うか使うまいかという、チキンレースが展開されます。
当時のソ連は強気でしたが、実際の核戦力では米国に及ばなかったので、フルシチョフ書記長は折れ、ケネディ大統領との間で和睦が成立。
その後、アメリカは1962年にキューバ貿易全面禁止を決め、これが半世紀ほど続きました(オバマ氏の2014年訪問後、2015年に米国とキューバは国交回復しております)。
反カストロ勢力は米国に亡命し、カストロ氏は国家評議会議長として長らく国を率いてきたわけです。
1991年のソ連崩壊後、ソ連からの支援が止まり、経済的には苦しい時代が続き、亡命者も増えました。そこでキューバは経済改革を行い、外国資本導入、国民の外貨所持解禁、部分的な自営業認可、個人への農地分与、農産物の自由市場の再開等の措置を取ります。
そして、社会主義国なのに国民はカトリックが多数派だったので、無神論者のカストロも、キリスト教徒への宥和策を取り、1996年にバチカン訪問を行い、98年にはヨハネ・パウロ2世のキューバ訪問が実現しました。(なお、1995年と2003年にフィデル・カストロ前議長の訪日も実現)
そして、2008年にカストロ国家評議会議長は引退。実弟ラウル・カストロ副議長が、議長を務めています。
オバマ政権になってから、米国との関係はよくなり、15年9月には安倍首相とカストロ前国家評議会議長との会談も実現しました。
安倍首相は、この時、カストロ広島訪問時の言葉(「人類は,このような経験を,二度と繰り返してはいけない」)を紹介し、農業や医療,教育などでキューバ支援を行うと伝えています。この狙いは、北朝鮮ともつながりのあるキューバに向けて、北朝鮮対策での協力をよびかけることにあったようです。
カストロ議長はこの会談で健在ぶりをPRしていましたが、今後、カストロ没後のキューバが自由主義寄りになるのか、社会主義国寄りになるのかが注目されることになりそうです。