竹島の日は、平成17年に「竹島の日を定める条例」により定められました。今日は、午後1時半から島根県民会館で第12回「竹島の日」記念式典が開催されております。
朝から騒がしいと思ったのですが、右翼の方達が街宣カーで「竹島は日本の領土」とどなりまくっております。
ということで今日は「竹島問題」について少し触れたいと思います。
日本は江戸時代より竹島を、漁業を通じて領有権を確立していました。そして、1905年、政府は竹島の島根県編入を閣議決定します。
しかし、1945年に日本は戦争に負け「今まで日清、日露戦争によって得た領土を手放せ!」と連合諸国から言われる訳です。また、朝鮮半島の独立と朝鮮に対するすべての権利も放棄するよう決められます。
そこで韓国は「じゃ、独島(竹島)も返してください。」とサンフランシスコ講和条約の作成過程で要望をだすのですが、当時のアメリカ国務次官補ラスクさんが「いや、あれはもともと日本の領土だからダメです。」となった訳です。これが、ラスク書簡といわれるものです。
韓国からしたら「ふざけるな」ってことで、李承晩ラインというのを海の上に引きます。ココからココまでが俺たちの陣地ですよ!そして、韓国側では、独島(竹島)は韓国の領土と主張しつづけるのです。
日本としたら、竹島は江戸時代から日本の領土であり、アメリカのラスクさんも認めているということは国際的にも日本のものでしょ?勝手に海の上に線引っ張ってもダメだよ。という訳ですよね。
ただし、韓国側にもちゃんとした主張があります。
韓国は1900年に石島を鬱陵郡(大韓民国 慶尚北道の郡)としています。この石島こそが現在の独島(竹島)であったといいます。
そして、日露戦争に勝利した日本は1905年にアメリカ、イギリスから日本の韓国支配の承認を受けて外交権などを韓国から奪いました。首都のソウルには統監府を置いて、その初代統監になったのが、伊藤博文です。実際、韓国併合となったのは1910年ですが、日本は1905年から韓国支配を強めていったのです。
ここでポイントになるのが1905年という年です。日本が竹島を島根県に編入した年と同じですね。
つまり、韓国からしてみたら、独島(竹島)は韓国のものだったのだけれども、1905年に日本に奪われたという訳です。だから、サンフランシスコ講和条約の作成途中でも韓国は「返してくれ!」と訴えたのです。
日本にしてみたら、竹島の島根県編入と韓国を保護区に置いたこととは、まったく別のことですので、タイミングが重なっただけ。しかし韓国からみたら奪われた!という訳ですね。
もともと日本の領土であった竹島を1905年に改めて島根県に編入したという日本。
もともと韓国のものであった独島を1905年に日本に奪われたという韓国。
韓国は、1900年には石島を鬱陵郡とし、この石島が独島(竹島)だったと主張します。
しかし、日本側の主張としては、石島って古地図見る限り観音島でしょ?竹島じゃないよ。といいます。
江戸時代においても、1693年に朝鮮の安龍福という人物は徳川幕府より竹島は朝鮮の領土だという書契をもらっていると韓国は主張しますが、日本からすれば、安龍福って人、漁民でしょ。徳川幕府が漁民にそんな大事な書契を渡すわけがないと反論。
江戸時代に書かれ幕府が利用していた地図には、竹島が朝鮮半島と同じ色で書かれている。朝鮮は、黄色で日本は青。竹島は黄色で書いてあるでしょ!
島の形状がぜんぜん違うでしょ。これ竹島じゃないよ!
議論は絶えません。そこで、日本は平和的な解決として国際司法裁判所、つまり2国間で話し合ってもきりがないから第三者に決めてもらおうと提案しますが、韓国側は拒否しつづけています。
なぜなら、韓国にしてみたら独島(竹島)はぜったい韓国の領土。しかも、すでに韓国は独島(竹島)を実効支配している状態です。ここまでしている韓国側では、今更裁判などするまでもないという見解です。
何はともあれ、話し合いで早く決着をつけてもらいたいものです。
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