そもそも日本国中に花粉が飛びまくるようになったのは何故でしょうか。
要約すると、戦後の大量植林で一斉に植えられたスギ・ヒノキが一斉に成長したので、花粉を一斉に飛ばし始めたということらしいです。
日本の森林面積の28%を占めるスギ・ヒノキ人工林の9割は戦後の植林によるものです。
スギ・ヒノキが花粉を盛んに生産するようになるには30年ほどかかるそうですから、高度経済成長期に植えた木が、今になって一斉に花粉を飛ばしまくっているということでしょう。
どうやら花粉が飛びまくることになった原因は、自然の気まぐれではなく、人間が心ならずも花粉を飛ぶように仕向けた結果のようです。
杉や檜は建築に適した木材として日本では古くから使用されていました。
といっても闇雲に木を切ればいずれ無くなってしまいますから、既に江戸時代から留山制度という管理システムや植林政策を導入して、天然杉を保護、森林資源の枯渇を防いでいたそうです。
時代が下って太平洋戦争時、日本の木材は軍需目的で大量に伐採されました。鉄などの金属を使い切ってしまった戦争末期には、木製飛行機や木製輸送船なんてものまで造ったそうです。しかし、経費削減のために植林はされずに切りっぱなし。
戦争が終わっても、焼け野原になった都会を復興させるために杉や檜は伐採され続けましたが、昭和23年の国有林野経営規定により材木の成長量に見合った伐採量に抑えられるようになり、植林も再開されました。
しかし木材の需要は増大し続けて供給が追いつかなくなり、昭和33年に国有林野経営規定を全面改定して成長量を超えた伐採を許可、昭和35年には外国材の輸入制限枠が大幅に拡大、自由化されます。
昭和33年には「林力増強計画」というものが実施されたそうですが、政府は農産物感覚で木を育てるつもりだったのでしょうか。
この頃の植林は成長の早い杉や檜が殆どで、しかも天然林の広葉樹まで伐採していったそうです。どうも日本中で木を切りたがっていたようです。
片端から切って一斉に杉を植えるという政策をとった結果、昭和39年には国有林の年間伐採量は2324万m3に達しましたが、その後下降に転じ、昭和47年に2000万m3弱、昭和54年に1400万m3、平成元年に1000万m3、平成7年には700万m3に落ち込みます。
イケイケの伐採によって日本の森林資源が枯渇して木材パニックが起きたかというと、もちろん起きませんでした。
オイルショックにより建築ラッシュが一段落したこともありますが、安価な外国材の輸入増加により国産材の価格が下がってしまい、切っても儲からないどころか赤字になる状況となってしまったことが大きな理由と言われます。
更に、輸入量が拡大された昭和35年当初は丸太で入ってきた外材が、後には加工済みの製品として輸入されるようになり、製材所を含む林業全体が苦しい状況に陥ってしまったのです。
その結果、昔一斉に杉や檜を植えた人工林の多くは、充分な手入れをされず放置されている状況です。
結局、今すぐスギ・ヒノキ花粉を減らすのは不可能に近く、長期的に考える必要があるようです。戦前のような森が増えていけば花粉も減っていくはずですし、国内林業が盛んになれば、他国の森を破壊せずに済むかもしれません。
すでに、長期的視野に立って理想的な人工林を造っている方々も出てきています。ポイントは杉や檜のみの単層林でなく、針葉樹と広葉樹が混在する複層林を目指している点でしょう。自然に近い森なので、杉や檜の絶対数が減って大きな木が育ちやすく、中には間伐すら必要ない森もあるそうです。