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研修後浜松により、井伊直虎にゆかりの龍潭寺をみて、おんな城主 直虎 大河ドラマ館によりました。

井伊直虎は、井伊家第22代当主・直盛の一人娘です。

直盛には男子がなく早くより娘の許婚として従弟の井伊直親に家督を継がせる予定でした。

ところが直親の父が今川氏に殺され、直親(9歳)自身も命を狙われたため、信州へ身を隠すことに。直虎は直親が亡くなったと思い、龍潭寺で出家し次郎法師を名乗ります。
11年後、井伊谷に戻った直親は、直盛の養子となり奥山家の娘と結婚し、虎松(24代直政)が生まれます。

1560年(永禄3年)、桶狭間の戦いで直虎の父・22代直盛戦死。井伊家の家臣も多数死亡し、大きな損失を被ります。
1562年(永禄5年)、23代直親が謀殺されると井伊家は存続の危機に。

翌年、20代直平死去。井伊の名を継ぐ男子は、直親の遺児、幼い虎松ただ一人となり、1565年(永禄8年) 龍潭寺南渓和尚の計らいで次郎法師はその後見人として井伊直虎と名乗り、女領主として井伊家を支えました。

井伊谷徳政令にみられる政治手腕は優れており、歴代当主に記名はありませんが井伊家受難の時代を救った女領主として後世に語り継がれる人物です。

身を隠していた直政を1575年(天正3年)浜松城主 徳川家康公に仕えさせ、出世を見届けた直虎は、1582年(天正10年)8月26日、激動の人生に幕をとじます。次回は、この直虎が行った政治手腕について書いてみたいと思います。

文責 仙台市で相続税に特化した税理士事務所|栁沼隆 税理士事務所

所長 栁沼  隆

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