第587話 摩訶不思議な限定承認の世界
相続放棄すべきかどうかの判断は時として非常に難しいことがあります。財産と負債のどちらが多いのかがはっきりしないことがあり、急いで放棄すると損になることもあるからです。こんな時に選択肢に挙がってくるのが「限定承認」という制度です。
「限定承認」とは、相続財産の範囲内でのみ借金を返すということを条件にして相続を承認する手続きです。
もし借金が膨大だった場合でも、相続財産を超えていれば返さなくてよいわけですから、相続人自身が損になることはありません。逆に、もしプラスの財産が残った場合には相続人が取得することができます。
一見、とても良いところ取りの制度に見えるのですが、限定承認を利用するための手続きは非常に複雑、難解であり個人が自分ですることはほぼ不可能に近いものがあります。そして、弁護士に頼んだ場合は内容によっては百万円単位の報酬がかかることがあるのです。そのような理由から、便利な制度のように見えて実際に使われることはどのくらいかと考えるとかなりレアケースといえます。
家庭裁判所のデータによると、平成20年から数年間の年間申立て件数としては、大体相続放棄が15万件から16万件台くらいで推移しているものの、それに対して限定承認は800件台から900件台程度になっています。いかに利用数が少ないかということがこのデータからも読み取ることができます。
一つの限定承認の事例を紹介します。
相続人は、限定承認の手続きを取り、遺産の一部を売却してその代金と預金をもって、被相続人の債務を弁済しました。そして残った資産は相続人が取得しました。3つの土地を相続し、そのうち2つの土地を売却、その売却代金と預金をもって債務を弁済したのです。ところが、その後、税務職員が訪ねてきて、3つの土地についての譲渡所得の申告がないことを追及してきました。
限定承認手続きを採用した場合には、相続財産に含まれる土地や建物は、被相続人が相続(死亡)と同時に時価で売却したものとみなしての譲渡所得課税が行われることになります。(所得税法59条)
なんか変な話ですよね。2つの土地は現実に売却したので譲渡所得課税がなされるのはわかりますが、売却していない残りの土地についてまで譲渡所得の申告が必要になるなんて、不思議な感じがします。
シャウプ勧告で作られたのが日本の税法ですが、その税法では、相続に際しては、被相続人の下で発生した値上がり益には、被相続人を納税義務者として所得税を課税し、相続による財産の取得には相続税を課税していました。しかし、相続に際して2つの課税が行われるのが2重課税に見えることから、徐々に改正されて、いま相続の段階では譲渡所得課税は行われないことになっています。
しかし、このことは、課税の免除ではなく、課税の先送りを意味します。相続人が、後に資産を売却すれば、被相続人の下で発生していた値上がり益にも譲渡所得課税が行われることになるからです。
しかしそうだとすれば、限定承認の場合には不合理な結果が生じてしまいます。資産の譲渡代金の全ては被相続人の債務の弁済に充てられるのに、資産を譲渡したことによる所得税は相続人に課税されることになってしまうからです。
そこで、限定承認の場合は、相続時点で資産を譲渡したものとみなして準確定申告での譲渡所得課税を行い、取得価額を、相続時点での時価にまで引き上げることで、その後の相続人による譲渡では譲渡益が生じないようにしたのです。その結果、準確定申告によって負担することになった所得税額は、限定承認の中で清算され、相続財産額を超える債務は切り捨てられることになります。
文責 仙台市で相続税に特化した税理士事務所|栁沼隆 税理士事務所
所長 栁沼 隆
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