第784話 志村けんさん一周忌
タレントの志村けんさんが新型コロナウイルスに感染してお亡くなりになってから1年以上が経ちました。ですが、約10億円以上にも上るといわれる志村けんさんの遺産について、遺族らによる相続手続きはいまだとられていません。予期せぬ別れにまだ心の整理がつかないことに加えて、志村さんが死後の遺産処置などについて方針を示していなかったことも理由の一つのようですが、遺族の心情を税の期限がおもんばかってくれるようなことはありません。生前対策の重要性がコロナ過でさらに増しています。
タレントの志村けんさんが亡くなられたのは、昨年3月29日のことです。その約2週間前の17日に体の倦怠感を覚え、2日後の19日には呼吸困難の状態に陥りました。21日からは意識も戻らず、そのまま帰らぬ人となりました。体に違和感を覚えてから12日、肺炎らしい症状を伴ってからはわずか10日という、あっという間の出来事でした。志村さんの急死は、日本人にとって初めてともいえる顔なじみの有名人の新型コロナによる死であり、ウイルスの恐ろしさを我々に知らしめました。
それから1年、命日の前日にあたる3月28日、東京都東村山市内の寺で、志村さんの一周忌法要が執り行われました。いまだコロナ過であることをかんがみ、近親者だけでしめやかに営まれたと言います。
そして志村さんの遺産についてもまだ整理がついていない状態です。志村さんはかつてタレント部門の高額納税者番付でトップに立ったこともある芸能界きっての売れっ子だけに、その年収は1億円を下らなかったとされます。不動産だけでも港区のマンション、三鷹市に所在する土地付きの豪邸、さらに熱海市にあるタワーマンションと3つの物件を所有していました。ですが、それらの不動産の相続手続きどころか、自宅にある遺品の整理すらほぼ手つかずの状態のままです。
心の整理がつかないうちに遺品に触れるのは気が引けるというのは、取り残された家族の心情として理解できますが、こうした遺族らの心情をおもんばかってくれないのが相続税です。
プレイボーイとして数々の浮名を流した志村さんですが、生涯独身を貫き妻も子供もいません。そのため志村さんの相続人は知之さんら2人の兄ということになります。相続財産が10億円あるとすると、2人の兄が負うべき相続税額はおおよそ4億円と見られます。
原則としては、これらの申告と納付の期限が相続発生から10ヵ月、つまり今年1月末だったはずです。 にもかかわらず、3月時点で「手を付けていない」という状態が許されているのは、志村さんを死に至らしめた新型コロナウイルスの感染拡大が理由です。国税庁は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、あらゆる税目で申告・納期限の柔軟な延長を認めています。相続税も例外ではなく、昨年に国税庁が公表したFAQによれば「感染拡大により外出を控えている」という様な理由でも延長を認めるとしています。
ですが新型コロナウイルスを理由とした期限延長はいつまでも利用できるわけではありません。ワクチン普及によりコロナ過の収束が見えてくれば、特例的な延長はできなくなり、早期に申告と納付を求められることになるでしょう。
もっとも相続税法では、新型コロナにかかわらず、遺産分割が期限までにまとまらなかった時に使える延長特例があります。「3年内分割見込書」と呼ばれるもので、同見込書を提出すれば本来の期限から3年間、遺産分割協議書の完了を待ってもらえる制度です。
しかしこの制度の注意点として、見込書を出したとしても、本来の納期限には「法定相続分に従って分割したもの」として、相続税を納めなければならないことです。つまり最終的には協議が完了した時点で還付を受けるなどして調整を受けられるものの、一旦は協議を終えていない時点でも見込額としての相続税を納めなければなりません。志村さんのケースでは、遺産が自分のものになっていない時点で計4億円の納付を求められ、現実的には遺産のうち大部分を占める不動産などを売らざるを得ないことになるでしょう。
また遺産分割協議書が期限内にまとまらないと、本来であれば使えたはずの税の特例も使えなくなる可能性があります。亡くなった人が住んでいた宅地の面積が一定以下であれば適用条件を満たせば、相続税評価額を最大80%減額する「小規模宅地の特例」を適用できますが、同特例を適用するには相続税の申告期限までに遺産分割が済まされていることが条件となります。特例として「遺産分割ができないやむを得ない事情」がある時に限っては、3年以上期限を引き延ばすことができますが、単に分割協議がまとまらないだけでは、この「やむを得ない事情」には該当しません。
過去には、遺産に不動産が多く範囲確定に時間がかかり、3年の延長を申請し協議を続行しましたが、選任した弁護士が忙しくて協議の機会を設けられず、代償金の額などでも争いになった結果、3年間で計14回の協議を行いましたが、結果が出なかったことが「やむを得ない事情」に該当するかどうかが争われた事例があります。この事例では、国税不服審判所は「やむを得ない事情というのは、遺産の範囲や遺言の効力についての争いがあり法的な解決手段がとられている場合や、遺産分割が法的に不可能である場合などが該当する」として、特例の適用を認めませんでした。そうであるなら、「遺族の心の整理がつかなかったから」という理由が通用するはずもありません。志村さんの遺族はそう遠くないうちに、相続税納税資金を確保するために、自宅売却などの検討を心の整理がつかないまま余儀なくされるでしょう。
また相続手続きに手間取る理由として、志村さん自身が相続について生前に何の話も家族としていなかったことです。すでに70歳となっていたことを考えれば、何らかの相続対策を講じていてもいい時期だったはずです。志村さんが「終活」に手を付けなかった結果、遺族は膨大な遺産を前に、一時は相続放棄まで考えるような状況に陥りました。
新型コロナウイルスに限らず、ある日突然万が一の事態が起こることは誰でもありえます。その結果、残された遺族が遺産整理と相続税に苦しむのであるなら、資産家は最低限の準備をしておくことが残されたものへの責務ではないでしょうか。
文責 仙台市で相続税に特化した税理士事務所|栁沼隆 税理士事務所
所長 栁沼 隆
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